NATURE & CULTURE
Understanding environment through culture, UEHIRO×WASEDA Seminar series

文化から環境を考える <フィールドワークを通しての感想>

大萩ゆきの

今回、「文化から環境を考える」という授業を受講し、いままでの大学生活では触れてこなかった内容と関わり、考える機会を得ることができました。授業、そして全3回という豊富なフィールドワークを通して、私自身は視野を広げることができたと実感しています。私は現在大学在籍5年目です。卒業直前の後期にしてこのように大きなご縁をいただけたことへの感謝の気持ちを込めて、ここにフィールドワークを通しての感想を記させていただきます。

◆全3回のフィールドワーク感想

最初のフィールドワークは埼玉県小川町。「農業」という言葉は馴染み深いものでしたが、事前の授業を受けて、自分自身が農業についての知識がほとんどなかったことに気付かされました。まず驚いたのは、化学肥料の登場によって人々が翻弄されてきた時代の流れです。化学肥料にまつわる農家の人々の健康被害、時には死に至る事故すらあったという事実、市場の大量生産にともなって化学肥料使用の連鎖から抜け出せない現状、そして行政と農薬業界の癒着といったように、歴史的な背景をふまえて複雑に絡まり合った現代の農業業界の実態を初めて知りました。また、同じ構造の連鎖が諸外国でも起きている現状はとても深刻なものです。しかしながら、農薬が健康に被害をおよぼし得るものであるという認識が一般化している現代においても、脱農薬の生活をすることは簡単ではありません。「有機」という選択肢があったとしても、大量生産、大量消費型の安価な農作物でのライフスタイルを確立してしまっている多くの人々にとって、「有機」を選択するということは、食の生活水準をあげることに等しいと思います。

このような時代の流れのなか、有機農業にて消費者とのつながりを確立していらっしゃる金子美登氏の霜里農場を見学しました。各学生が事前に準備をした質問をもとに、ディスカッション形式でお話をうかがうことができた時間はとても濃密なものでした。金子氏はTEIKEIという形で自身の農業を確立しています。彼は「消費者と農家のつながりが大切である」と述べています。都心に住む私たちにとってできることは、「有機農家に限らず、自分から農家とつながること」であり、これが農家の方々にとって有機農業にふみだす機会へとつながりうるとのことでした。これは、直接的に農家と関わりを持たずとも、農家から直接農作物を仕入れている近隣の売り場を利用することでも実現可能であると思います。毎日ではなくとも、日々の生活に少しずつ有機の作物を取り入れる、もしくは直接農家から買い付けた品をあつかう店舗を定期的に購入することが今の私にできることです。

しかし、ここで述べておきたいのは、消費者が必ずしも「有機」をもとめているわけではないということです。有機作物は、健康的な側面から食にこだわりのある人や、生活にゆとりのある人が選択する、もしくはもとめる対象である傾向にあると思います。手間のかかる有機の作物の価格は、その過程を知らない消費者にとっては手が伸びづらい価格帯であることが多いです。また、小川町のフィールドワークに限らず、このテーマに関連し、各方面から有機農業や有機に携わる人と接する機会がありました。東京国際フォーラムで開催されたオーガニックライフスタイルEXPOというイベントにも参加しました。そういった活動のなかで、「農作物は有機であるべきである」といったような、排他的な雰囲気を感じることがあったことは気になった点です。コストパフォーマンスや効率重視の現代において、「有機至上主義」は通用しないのではないかというのが現在の私の意見です。有機の作物や、有機にもとづく商品をより幅広い人々の層へと浸透させるには、消費者側から歩み寄ってもらえるような切り口が必要であると思いました。個人的には、一般的なスーパーマーケットにおいて、それぞれの近隣の農家と提携して作物を提供するような身近なシステムが普及することが、消費者と農家にとって持続的な関係が築けるという点で理想的であると思います。

第2回目のフィールドワークは、雪降る真冬の北海道、釧路。標茶、阿寒を訪れました。積雪により釧路空港にて飛行機が着陸できず、一度羽田空港へ引き返すという、冬の北海道ならではの経験をしたことは思い出深いです。北海道でのフィールドワークのテーマは「自然・環境・保護」でした。本授業の名前の通り、ダイレクトに「環境を考える」機会となりました。というのも、ここでのフィールドワークで出会った方々が、それぞれの視点からその土地の環境や自然と深く向き合って来た方々であったからです。

標茶で訪れた虹別コロカムイの会の方々は、シマフクロウの保護という形で自然と向き合っていました。私たち学生は、シマフクロウの巣箱の掃除を見学、体験させていただきました。シマフクロウは本来、木のうろに巣を作ります。しかし現在では、森林伐採によってシマフクロウが巣とすることのできる原生林はありません。人間が、ある環境から一部の自然をとりのぞくことによる影響は、部分的であるとはありえないのです。虹別コロカムイの会は、このように人間が搾取した自然の一部をおぎなう活動をしているといえます。標茶で出会った方々の活動は、シマフクロウにとどまりません。川の生態系に重要な役割をもち「生命のゆりかご」とも呼ばれる梅花藻の保護や、植林活動、山の自然保護をされている方々のお話もうかがいました。フィールドワークを通して気付いたのは、ここで自然と向き合っている人々の活動はそれぞれに補い合って成り立っているということです。たとえば、シマフクロウの巣箱にはギ酸(牧草を保存するための液体)の容器、梅花藻の保護には漁業者が使わなくなった網といったように、産業廃棄物が再利用されているのです。梅花藻がふえたことによって鮭の回帰率が上がったとうかがい、それぞれの活動が補い合った結果、自然環境が向上していることを実感できました。

阿寒では、阿寒伝統工芸組合の秋辺日出男氏にアイヌの自然観、アイヌの哲学についてお話をいただきました。「人間も自然環境のひとつ」という言葉が非常に印象的で心に残っています。アイヌは、神様のことをカムイと呼び、あらゆる自然にカムイを感じて生活しているそうです。お話をうかがうなかで、秋辺日氏が「日本人は○○である」というように日本人について話す場面が何度もありました。日本人とアイヌは全く別であるという意識を強く感じ、いままでアイヌ民族と触れ合う機会がなかった私にとっては複雑な感覚でした。彼は「アイヌの権利を取り戻すには、自然環境を取り戻さねばならない」と述べていました。自然崇拝といったような自然との精神的なつながりが日本人にもあるように、日本人にとってアイヌ民族の自然観は共感できる精神性であると感じていました。しかし、秋辺日氏の言葉から感じたのは、私の想像を超えた自然との強いつながり、精神性でした。「神様を意識しながら一日中暮らしている」というアイヌ民族は、秋辺日氏の「人間も自然環境のひとつ」という言葉通り、自然に耳をかたむけ、自然に寄り添って生活しているのでしょう。現在では、私たちのような学生をはじめさまざまな人がアイヌの教えをもとめ、秋辺日さんのもとへ連絡してくるそうです。自然を思うままにコントロールしようとし、結果として環境を破壊してきた20世紀の思想とは真逆の精神性に人々が惹かれることにはうなずけます。また、私自身もアイヌの精神性にはとても惹かれる部分があり、これからも興味をもっていくと感じています。

鶴居村では、「日本野鳥の会 鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」にて、原田修氏からお話をうかがいました。絶滅危機のあったタンチョウ鶴が、保護活動によって現在3000羽ほどに増加し、安定して個体数を増やしていることはすばらしいことです。私たちが鶴居村に訪れた際、タンチョウサンクチュアリの外には百羽近い多くの数のタンチョウ鶴がいました。こんなに一度に見ることができると思っていなかったので驚きました。聞いてみると、タンチョウ鶴があつまっていた場所は給餌場だったのです。原田氏は、タンチョウ鶴が人に慣れすぎることを防ぐため、自然の餌場作りを心掛けていると話していました。この保護活動は、野生動物の個体数を伸ばすという点において成功しているといえるでしょう。しかし、人工の餌場に頼ってタンチョウ鶴が生存していること、つまり自然の生態系のなかに人為的環境が組み込まれているということは、忘れてはいけないことです。

3回目、最終のフィールドワークは福島、郡山です。復興支援として福島でのワイナリー立ち上げが計画されています。それにともなって開催された「第1回ふくしま復興ワインセミナー」という講演会に参加し、福島のワイナリー立ち上げに各方面から携わる人々にお会いしました。

「福島復興ワインプロジェクト」は、2015年に設立された(JWIS)日本葡萄酒革新教会の主導で進められています。このプロジェクトに参入しているのは、福島の人だけではありません。さまざまな方向からワインに携わっている人、もしくは福島のワインビジネスに携わる可能性のある人がJWISの働きかけによって始動しているプロジェクトです。講演会につづいて行われたパネルディスカッションでは、山梨大学ワイン科学研究センター長、福島大学教授、中央葡萄酒株式会社代表取締役社長、早稲田大学教授といったそうそうたる面々の方々が、福島でのワインの可能性について意見を交わしていました。内容は、福島ワインのブランディング方法、販売の販路についてが主なものでした。

しかし私の頭の中には、ディスカッションの方向性とははなれたところで疑問が浮かんでいました。それは、「福島ワインって安全なの?」という消費者目線の率直な疑問です。JWISが働きかけてワイン用葡萄圃場となった川内村は、比較的放射線被害が少ない場所であるそうです。また、葡萄の果実は放射線を蓄積しづらいという説明もありました。しかしながら、葡萄がワインとなる過程でその成分が凝縮されることを考えると、消費者にとって放射線の問題は、不安要素となりえます。放射線を浴びた植物には奇形が生じることもあります。私自身も、移動中の車内から、不自然に歪曲したような木々を目にしました。このプロジェクトが放射線被害のある福島という場所性をもっており、その土地の農作物を原材料として商品をつくる以上、消費者の安全面での不安をカバーするような取組みや説明は必要となってくるのではないかと思います。安全性のアピールはブランディングに際してプラスイメージの付加にもなるはずです。

実際に川内村の葡萄圃場にも足を運びました。川内村のワイン用葡萄栽培には、山梨のワイナリーで修行をした横田克幸氏が技術支援をしています。横田氏は徳島出身で、葡萄栽培のために川内村へと転居しています。先にも述べたように、福島のワインは福島の人々だけで進めているのではありません。技術者や研究者が、福島のワインを実現するために尽力しています。このように、福島の外から来た人々の力の存在というのは、非常に重要であるのではないかと感じます。それは彼らの目的が必ずしも「復興」にあるわけではないからです。たとえば、横田氏は自分の作ったワイン用葡萄栽培が「結果としてのビジネスにつながればよい」というふうに語っていました。つまり、彼の葡萄栽培の一番の目的は「復興」にあるわけではなく、「ワイン」にあるのです。これは私の推測ですが、「福島復興ワインプロジェクト」に携わる方々は、横田氏のようにまず「ワイン」へ情熱が動機である人が一定数いるのではないでしょうか。私は、これは良いことであると思います。「良いものを造り、結果としてビジネスにつながる」という形が、福島におけるワインプロジェクトの理想形となりうると考えるからです。

福島でのフィールドワークは私にとって大きな発見がありました。それは、「ワイン」という切り口から復興支援をすることができるということです。恥ずかしながら、私は福島と関わる機会をもったのが今回のフィールドワークがはじめてでした。「ワイン」という身近な視点から、福島と関わる可能性を知ったことは、個人的には大きな収穫であったと思います。

◆授業を振り返っての感想

まず初めにいえるのは、「ものすごい情報量の授業であった」ということです。そして、全3回のフィールドワークというのは、実際に参加させていただいて、なかなかハードなものであったと感じます。というのも、フィールドワークは現地にいらっしゃる方々と実際に接する機会なので、事前学習はかかせません。先生方をはじめ、数人の生徒にとっては馴染のあるフィールドであることもあったようですが、その現場にまつわるテーマ自体が初めて向き合う内容である場合において、事前の知識不足によって思考の不自由さを感じる場面もありました。しかし、半期の授業のうちに3回もフィールドワークの機会をいただけたことで、自分自身の視野が急速に広がったという感触があることは事実です。こんなにもパワフルでエネルギーに溢れた授業は他にはないのではないでしょうか。短期間にこんなにも多くの方々にお話しをうかがえる機会もなかなかありません。

今回、私は「自然」という広いキーワードから惹かれ、本授業を受講しました。それによって、自分のいままでの興味関心と重なる部分もあれば、そうでない部分もありました。この授業は、農業や環境保護といった視野で勉強をしている学生、つまり本授業の内容にダイレクトに関わっている学生にとっては、私以上に恩恵のある授業であるはずです。授業の内容にダイレクトにフィットする学生に、この授業のことをぜひ知って欲しいと思います。もちろん私のように、広い視点から興味をもって視野を広げる機会を得る、幸運な学生にも知って欲しいです。開講したばかりの授業とのことで、これからの発展を楽しみにしています。

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