NATURE & CULTURE
Understanding environment through culture, UEHIRO×WASEDA Seminar series

Final Report Yuki Patrick Yamashita

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  1. はじめに

私がこの授業を受講したきっかけは、本講義の講師である吉川成美先生が担当しているASEPというプログラムに参加していたことです。ASEP(Asian Student Environmental Platform)とは、イオン環境財団が主催するアジア学生環境フォーラムのことで、中国、韓国、マレーシアなどのアジア8カ国の学生とチームを組んでフィールドワークに行き、生物多様性について学び、最後にチーム全員でプレゼンテーションをする、という内容のプログラムです。私は2016年度、2017年度のプログラムに参加しました。私は創造理工学部環境資源工学科に所属しており、化学や物理、地学や鉱物学を使った、土や空気、水などの環境浄化を専門に学んでいます。環境というものを学術的な面だけでなく、生態系や文化などの幅広い観点から学びたいと思い、ASEPへの参加や本講義を受講しました。ASEPでは知床、東北に行く機会があり、大自然の中の生態系やアイヌと自然との関わり、そして災害から復興する生態系について学びました。本講義は、タイトルにもあるように、文化という観点から環境を考える内容になっていました。フィールドワークで訪れた西表島はイリオモテヤマネコでも有名な大自然を誇る島になっており、そこに住む人はどのように自然と関わって生活しているかについて学ぶことができました。フィールドワークでは鎌倉も訪れましたが、この感想では主に西表島での体験についてまとめていきます。

  1. 八重山諸島西表島

今回のフィールドワークが私にとって初めての沖縄でした。地図上では何度も見たことがある沖縄ですが、石垣島や西表島がある八重山諸島が沖縄本島かあら約500 kmも離れていて、台湾の方が近いことに驚きました。また、八重山諸島の中でもあまり多くの人が訪れない西表島に行くことができたのも貴重な経験になりました。行く前はイリオモテヤマネコがいる、という知識しかなかったのですが、マングローブ林をはじめとする豊かな生態系や戦争中の悲惨な歴史、また今でも残る地域の祭りなど、多くのことを学ぶことができました。

・炭鉱の跡について

2日目に、島の北側を流れる浦内川でカヌーをする機会がありました。カヌーのインストラクターを先頭に、二人一組十人ほどでマングローブ林の中を漕いでいくもので、途中で岸に下りて、マングローブの生え方について、また戦争中に掘られていた炭鉱の跡地についてなどについてレクチャーを受けました。その中で印象的だったのが、炭鉱の跡地でした。戦争中、多くの本土の人が満州や沖縄の島などに派遣され、厳しい環境の中、石炭などの資源を採掘していた、というのは歴史の授業などで習ってはいたものの、使われていた炭鉱の後を実際に見るのは初めてでした。古くなって風化したビール瓶や植物が絡まったレンガ、犠牲になった人の慰霊碑を見るたびに心が痛みました。私は東京で育っているのですが、八重山に滞在中の天気の変化は厳しく、負担がかかると思いました。午前中は20 ℃を超える暑さでも午後になると大雨が降り気温も下がる、など短い滞在の間でも、都市部にはない自然の厳しさを実感しました。また、戦時中、西表島ではマラリアが流行し、多くの人が亡くなったと聞きました。日本のために、家族のために、遠くから石炭を採掘しに西表島までやってきて命を落とした人のことを思うと、二度とこのような悲惨な戦争は起こしてはいけないなと思いました。

・八重山諸島に根付いている文化について

今回のフィールドワークで訪れた八重山諸島は台湾のすぐそばにある、沖縄県の中でも西の方に位置する島々です。今回のフィールドワークでは、西表島にはどのような文化が根付いているかについて学びました。

一番印象的だったのは、西表島で全て自然のものから作る染物を営んでいる石垣さん夫婦です。特に石垣金星さんは西表島の独自の文化を守るために全力で取り組んでいるようでした。西表島での2日目の夜に、石垣さんご夫婦を宿にお招きして、現地の言葉で「ゆんたく」と呼ばれるおしゃべりをしました。その中で、留学生たちから石垣さんたちへ質疑応答を行いました。石垣金星さんのお考えを聞くことができました。まず印象的だったのは石垣金星さんの現地の言葉での自己紹介です。沖縄の方言でも、日本語近いはずだから聞き取れると思っていた私にとってそれは衝撃的でした。内容が一つも理解できないのです。さらに、八重山の島や村によって話す言葉が違うというのも驚きでした。その方言についての石垣さんの意見として、現地の言葉が消えかかっていて、それを防ぐために現地の言葉を子供達に教えている、というお話を伺いました。先ほどの炭鉱のところでも触れましたが、戦争中に本土から多くの’’日本人’’がやってきました。彼らは当然、八重山の言葉を理解することはできません。島の人々は、彼らとやり取りをしてお金を得るために日本語を勉強したそうです。結果として、日本語が標準となってしまい、現在は現地の言葉がなくなりかけています。言葉は文化と結びついて生まれたものなので、言葉が絶えてしまうことは、一つの文化が絶えてしまうことを意味します。この時、以前プログラムで訪れた北海道のアイヌ民族のことを思い出しました。アイヌの人たちも江戸時代に、松前藩によって支配され迫害され続けてきました。結果的にアイヌ語自体もほとんど消滅しかけてしまっています。日本では、日本人が単一民族であるという考えが広まっています。単一民族であり、他の民族を迫害したり支配したりした歴史があることはほとんど知られておらず、海外でのそのようなニュースも他人事として見てしまいがちです。過去の歴史を反省する、ということではなくても、北海道のアイヌの人たちや沖縄の琉球王朝を支配して日本にした歴史がある、またその中でまだ日本人としてのアイデンティティについて深く考えている人がいる、ということを知っていくべきであると思いました。

・動物の護り神について

西表島でのお祭りの風習や神様についてもアイヌと似ている点があると思いました。アイヌの人々にとって、北海道に生息するシマフクロウはコロカムイと呼ばれ、村などを護る護り神として信仰されています。猟などの最中に見かけたら感謝を捧げる、という姿勢を大事にしています。これと同様なことが西表島でも見つけることができました。アイヌの人たちにとってのシマフクロウは、西表島の人にとってのイリオモテヤマネコなのです。イリオモテヤマネコは島ではヤマピカリャーと呼ばれて神様として信仰されています。西表島の人は豊かな海と川、山で猟をしたり食材を採ってきたりしています。その中で、島に100匹ほどしか住んでいないイリオモテヤマネコに出会うと感謝を捧げるそうです。自然の中で生きる人々には共通の意識が生まれているのだと分かりました。日本人の多くは東京や大阪などの大都市で生まれ育っています。私がそうであるように、都市部で生まれ育つと、自然とともに生きていく、という感覚がとても分かりづらいものになってしまいます。これからの時代は自然とどのように共生していくかが課題になってきます。生態系の一員として人類が生きるためには、このような島の人々の生活を知ってもらうことが必要になると思います。そのためにも、この島で始まったエコツーリズムを広めていくべきだと考えました。今年中に西表島は世界遺産となります。観光客も増加する中で、大自然だけでなく人間と自然との共生について知る人が増えていけばいいなと感じました。

  1. 最後に

西表島では人間と自然がどのように共生しているか、また自然だけでなく島の歴史についても深く学びました。近いうちに日本で最後に登録される世界自然遺産となる西表島に行くことができ、貴重な体験をさせていただきました。上廣倫理財団さんをはじめ、西表島でお世話になった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。特に、このような素晴らしい授業をしてくださった吉川先生、礒貝さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。今回得られた経験を多くの人に伝えていきたいと思います。

 

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