NATURE & CULTURE
Understanding environment through culture, UEHIRO×WASEDA Seminar series

FINAL REPORT | SHUHEI MURAMATSU

村松周平(1A171315-5)

文化から環境を考える期末レポート

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  • はじめに

奄美大島では文化の知恵や持続可能性という観点からフィールドワークを行い、実際に奄美大島の環境を体験することで様々な経験と考えを持つにいたることができた。本レポートでは5月に行った鎌倉と対比できるところは対比させつつ、どうすれば環境と経済的な成長が両立できるのかという観点を考察していきたいと思った。

 

  • 交通

マングローブパークへ行く道でトンネルを通っている時に、ガイドの方が昔は山を越えるのに大変であったとおっしゃっていた。一般的に道路の開通、交通網の発達というと環境に悪影響なイメージがあるが、必ずしもそうであるとは限らないということが分かった。例えば、アマミノクロウサギの死因として路上市死挙げられるといわれていたが、トンネルが建設されることでこれを防げることができる。また道路によって森林が分断されることで生態系が破壊されてしまうという可能性があるが、この問題も解決することができる。トンネル掘削には莫大な経費が掛かるものの、希少生物の保護のために道路内への進行を防ぐ柵や、動物の安全な横断を可能にするアニマルブリッジを建設するよりは安上がりなのかもしれない。本フィールドワークではバスで長いこと揺られていたが、奄美大島が山が多く、起伏の激しい土地であるにもかかわらず概して低地を走っていた。これは道路が鞍部に敷設されていたからである。これは実際地図上で道路を見ても分かる。勿論建設が容易であるというのが第一要因だが、ガソリンの使用量の削減や動物の路上死の減少などといった環境保護を行うことができると考えた。

鎌倉では三方が山に囲まれており、道がいまだに鎌倉時代のものが使われていることもあって、渋滞が発生しやすいということを授業で学んだ。また、このような交通事情も世界遺産に登録されることがなかった理由の一つであるといわれていた。実際にフィールドワークで歩いた時に、藤沢駅から鎌倉由比ヶ浜へとつながっている国道32号線は、長谷寺付近でひどく渋滞していた上に、歩道も大変狭く、歩きにくかった。一方で図1を見るとわかるように、トンネル付近においては全く渋滞が発生していなかった。このようなことから、現代において山や海といった地形的要素は道路の混雑状況にさして大きな影響を与えないのではないか。実際、鎌倉は海沿いからの進行が不可能と言われていたが、現在においては片側1車線の狭い道路ではあるが国道134号線が整備されており、三方が山に囲まれ、一方が海であることはあまり交通渋滞が生じることへの理由として成立しないのではないか。むしろ、長谷寺周辺において歩道と車道がガードレールによって分断されておらず、歩道が狭かったことによって人があふれていたことが原因ではないのだろうか。歩行者の安全性を考えてもやはりガードレールは必要であると感じた。また、渋滞を助長させていたのは江ノ電ではないか。先生が紹介してくださったカフェで見た江ノ電のある鎌倉の風景はとても美しいものであった。しかしながら、交通事情においては問題を有していると思う。まず、踏切の多さである。早稲田から出発する都電に乗るとわかるように、一般的な路面電車は道路と並行に走ることで踏切の数を極力減らしている。一方の江ノ電は鎌倉駅から鎌倉~長谷区間において由比ヶ浜方面への道路直角にぶつかっている。踏切は安全管理上、信号に比べて待ち時間が長いうえに、歩道と車道を分けられないために、車の通行を妨げる大きな要因であるといえる。また、都電が一両編成なのにあるのに対し、江ノ電は確か4両編成で運行していた。それでも、観光ルートや市民の動線を考えたときに4両編成であってもまだ足りていないと思われる。その結果として自家用車やバス等の期間を利用せざるを得なくなってしまうのではないだろうか。

それでは、奄美大島はどうであろうか。世界遺産に登録されてより多くの人が奄美大島に訪れたときに考えられる持続可能性を有する交通手段は何であろうか。フリープランツアーの場合最も一般的なのが路線バスとレンタカーである。私はレンタカーには主に3つの欠点があると思う。まず一つ目は道路網の少なさによる慢性的な渋滞である。現在Googleマップの渋滞状況図を見ていても分かるのだが、7月上旬においてもとりわけ空港と名瀬湾町を結ぶ道路を中心に混雑している。これは道の本数が少ないうえに片側一車線であるからであり、世界遺産登録がされた場合のハイシーズン時においてはレンタカーの増加で大きな渋滞が予測される。第二の理由は奄美大島特有のものである。道に立て札の設置などは行われたものの、依然として抜本的な政策がなされておらず、希少動物の路上死が相次いでいる。2日目に訪れたスポーツバーにいらっしゃったお客さんの話曰く、その方は龍郷町に住んでいて、夜に家に戻られる際に時々アマミノクロウサギなどを目撃されるそうである。その方は生まれてからずっと住んでいるので、素早く気が付いて速度を落とすことができるが、観光客は果たしてそのようなことができるだろうか。3つ目の理由は奄美野生保護センターの方の話に関連している。奄美大島若しくはその一部が登録されたとしても、その面積は広大であり、到底全地域に警備や監視員を配置することはできない。貴重な野生生物を捕獲している人がいるのでパトロールをしていると野生保護センターの方がおっしゃっていたが、もしレンタカーが貸し出されなかったらどうなるであろうか。すなわち、レンタカーを使わせないことによって観光客の行動を制限することができ、ごみのポイ捨てや違法性のある行為を監視することが容易になる。また、世界遺産登録後に問題となる自然と人間の関係も、関係を持つ場所が制限されることで自然に対する被害を最小限に抑えることができるのではないだろうか。このような理由から私は観光バスや路線バスが交通手段となったほうが持続可能性を継続していくことができるのではないかと考えた。奄美大島が本土から離れた島であることから、レンタカー等の貸し出し用の車を制限することによってこれらの問題を解決することは容易である。鎌倉などの観光地で模索されているパークアンドライドやエリアプライシングなどと同じような効果を発揮できると思う。

 

 

  • 伝統文化

今回のフィールドワークでは伝統と文化という点に注目していたので、この章では伝統と文化について感じたことを素直に書いていきたい。まず、1つ目は大島紬である。図2にある大島紬は島唄を歌ってくださった平久美さんが来てらっしゃったものを撮影したものである。似たようなものが大島紬の生産所で販売されていたがおよそ30万円していたので、我々の想像をはるかに超えて手のかかったものであり、高級品であると思われる。何より説明を受けていて驚いたのは、模様一つ一つに意味があるということである。例えば赤い花のようなものはソテツであり、縞模様の物はソテツの葉を表しているということだった。またほかにもハブや花をモチーフにしたものが存在しているということだった。とにかくその模様の幾何学的な美しさに魅了された。また、実際に制作過程を職人さんの話を聞きながら自分の目で見ることで、これがいかに大変なことなのかを学ぶことができた。特に、樽の中でシャリンバイにつけた後に泥田につけて鉄分と化学反応を生じさせるという作業を50回以上するのは本当に大変なことであると思った。そのあとの、一本ずつ模様を見ながら追っていくという作業にも驚かされた。このような細かい作業によって完成した大島紬はとても美しく、このような商品は概して世界の富裕層からの需要過多によって品質の低下や工場の輸出に便利な場所への移転などといった文化との乖離化等の問題が生じることが多いように感じたが、そのようなことは起こっていなかった。何よりも見学した生産工場が昔ながらの方法で手作業によって行われていて安心した。残念だったことは技術者の方の中に若い人がいなかったということである。直接職人さんに話を伺うことはできなかったが、このような比較的単調で辛い作業のある仕事をあまり好まなくなってきているのではないだろうか。今の職人さんがいなくなることで文化が消滅してしまう可能性を極力少なくするためにも、大島紬と子供たちの距離を縮めることが肝要だと感じた。おそらく従来は家業として子供が跡継ぎになるものであったが、それが成立しなくなり、また大島紬が高級であることから大島紬に触れる機会を子供たちが持てなかったことがこのような跡継ぎ不測の問題の所縁であると思われる。

次は島唄について感想を述べたい。まず沖縄では島唄という単語は以前用いておらず、奄美大島発祥のものであるとのことだった。また、島とは奄美大島のことではなく、そのテリトリーを表すものとして用いられていた。島唄をYouTubeで聞いた時には何がいいのかさっぱりわからなかったが、実際に聞いてみて理解することができた。まず、初めにしていただいた解説がなければどのような意味があるのかさっぱり理解できなかった。しかし、解説を聞いてこの曲にどんな感情が込められているのかを考えながら聞くと不思議と想像をすることが容易だった。また、男性の方が歌う島唄は特に高音部分で哀愁を感じずには入れず、とても感動した。最後にみんなで輪になって踊ったが、その時に感じたのはみんなで踊ることで一体感を得ることができるということと、なぜか楽しい気分になれるということであった。島唄を歌ってくださった平さんは次のようにおっしゃっていた。明治以前には奄美には学校がなかったが、人として守らなければいけないことや正しいこととは何かを島唄の歌詞に乗せて子供たちに伝えたというのである。すなわち島唄は楽しい時には楽しい思いを歌い、悲しい時にはその気持ちを歌うという点で言葉を超えた一種の感情の表現方法であり、またその一方で人生の訓示であるのだ。大島紬と対比してよいことは、次の世代への継承がうまくいっているように思えたことである。お二人曰く町で行われる伝統的なお祭りではたいてい島唄を歌うとのことであり、そのような場で島唄に親近感を覚え、興味を持つ子供がいるのではないか。最後に奄美大島の伝統的な食文化を考察していきたい。あまり街を歩く機会はなかったが、ホテル周辺の繁華街にもあまり多くのチェーン店や本土の店を見ることはなかった。ゴーゴーカレーとほっともっとくらいしか見なかったような気がする。ここが沖縄と奄美大島の食文化において決定的に異なる点である。沖縄はアメリカ統治機関が長かったこともあって、ハンバーガーなどの洋食が受け入れられている一方で、奄美大島ではそのような食事は見受けられなかった。奄美大島が長寿の人が多いことで有名なのも、伝統的な食文化を守ってきたからなのかもしれない。図3は最終日に食べた昼食の写真である。ここで見てわかるように伝統料理を基盤にしながらも観光客に受け入れられる形を模索していることがわかる。例えば、豚肉は沖縄などの南方の島ではメジャーなものだが、甘辛いシンプルなタレとボイルした野菜を添えることによってどこかなじみやすいものになっている。また、中央の天ぷらも有名なモズク天ぷらだけではなく、ナスやエビを足している。あまり詳しくはわからないが、気温の関係上刺身は奄美の伝統料理ではないような気がするが、うまくなじめていると思った。この日の昼食は景色もきれいなうえに、本当にどれもおいしく、大変満足だった。特にこの写真には入っていないが豚味噌と呼ばれる豚を味噌で漬けたものはご飯が進むような甘めの味で、食べたときにとても驚かされた。

続いては、奄美大島のお酒についての感想を述べたいと思う。一日目に個人的に訪れた図4の『木の花』というお店にも、2日目に訪れたお店にも本当に多くの種類の黒糖焼酎の種類が存在していた。さらに味も違っておりとても面白かった。しかし一番感心したのは、お客さんと店員さんの関係である。東京の場合、お店が多いこともあって、お店の人は注文を受けるだけの存在だが、奄美大島ではフレンドリーに話しかけてくれる店員さんが印象的だった。このことは、公設市場にいらっしゃったお年寄りにも言えることで、大変親しみやすく話しかけてくれる。それはやはり、我々東京から来た者にとっては奄美大島の誇るべき伝統の1つであるとまでいうことができる。7万人と人口が少ないうえに、島であるために名瀬町に飲食店が集中するからであり、観光客が増えたところでこの潮流は変化することがないと思った。

2日目の2件目のお店、島の居酒屋むちゃかなでは様々な伝統的な料理をいただいた。特に印象に残っているのはヤギとイノシシの肉である。ヤギの肉はとても柔らかく、奄美のしょうゆとショウガを混ぜたタレで食べると絶品だった。奄美のしょうゆは本土のものと比べると、少し甘いため刺身などには合わないが、伝統的な食品には本土のしょうゆよりもあっていた。イノシシの肉はクセのある香りがする一方で、脂身の多いジューシーな豚肉というような印象だった。東京だとイノシシは食べるものではないという考えが一般だが、実際に食べてみると豚肉よりもおいしかった。ただし難点は少し香りが強いので豚肉のようにほかの食材に混ぜたり合わせたりすることができないような気がする点である。猫を研究していらした方が、イノシシの肉が人気なので鹿よりもイノシシが先に狩られるという話をしておられた。このような人間の昔ながらの介入が自然の秩序を保ってきた可能性は十分にある。しかしながら、奄美動物保護センターで聞いたように奄美には里山という概念がなく人間と動物の世界が接しあっているということだった。本土が狩猟採集の時代を終えてから何百年も豊かな自然の下で狩猟採集を続けてきたからだろうか。ともかく捕まえた動物を近所の人を呼んでみんなで食べるという発想は全くなかったが、素晴らしいことだと思った。本土も以前はそうだったのであろう。ハブを山の神としながらも、ハブ酒を作ったり、数が減少する前はアマミノクロウサギを食べたりすることで、奄美大島の人々は知らず知らずのうちに島の動物との程よい関係を築き、絶妙なバランスを保っていたのではないだろうか。それこそが文化的な知識であり、何より持続的な成長を保証するものなのだと感じた。

 

 

  • まとめ

今回の鎌倉及び奄美大島へのフィールドワークは大変有意義なものだった。実際に現地の人の話を聞いたり、その場所特有の文化や食事を体験したりすることによって気が付くことはたくさんあった。その土地の歴史はや地形に起因する道路の問題は今後奄美大島が世界遺産を目指していくにあたって再考しなくてはならない課題の一つであると思った。また、島唄や大島紬、さらには奄美大島の食事など東京にはないものを多く発見できた。観光客の力を借りつつこれらの文化・伝統を維持していくことが必要である。今回は文化、持続可能性という観点から奄美大島を見た。フィールドワークをする前は伝統知識と持続可能性に関連性がないように感じていたが、実際に訪れてそのあとにこのレポートを書いてみると、先人の知恵ともいえる文化を保護することによって、奄美大島は島としての利点を生かしつつ、持続可能性を持った開発をしていくことができるのではないかと感じた。自分のチームとはあまり関係ないが、熱帯雨林やマングローブの内部を見たときに、植物や動物の多様性に驚いた。マングローブ林は1つの樹木でできているのだと思ったら、多種多様な樹木によって構成されており、しかもじっと見てみるとカニなどの生き物がいたことに感動した。原生林では展望台に上がったときに風の強さに驚いた。原生林内部では風が全くなく、外部との環境が大いに異なることを実感した。原生林内部での環境が一般の森林とは異なり密度が高いからこそ、着生植物や低木、高木など様々な気が生じるのではないか。本フィールドワークはとても有意義なものだった。本フィールドワークを順調に進めてくださった、旅行会社さんや先生方、上廣倫理財団の皆さんに心から感謝したい。

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